「人の悪口は言ってはいけない」多くの方はそう思っているのではないでしょうか?
それゆえに、人を悪く思ったとしても、それを口には出さず、心にしまい込み、見ないフリをしてしまうこともあるかもしれません。
心で思っている時点で、口に出すか出さないかという違いだけで、どちらも大差は無いのです。
大事なのは、悪口を言う、言わない、というよりも、人の見方、人に対する心のあり方です。
今回は、「悪口を言ってはいけない」心にしまうより、心をきれいにする方法について書いていきます。
人を悪くしか見ることができないような状態になった時、見方を変え、相手も自分も良くなる方向へと変換させていっていただけたらと思います。
誰かを悪く言っている時の自分のことを、素敵な自分だ、と思える人はいません。
つまり、悪く言っている時の自分は、本当は好きじゃないし、本当は悪口なんて言いたくないのです。
でも、心に引っかかる何かがあるから、悪く思う自分が出てきてしまいます。その、心のモヤモヤをきれいにしていきましょう。
きれいな心を取り戻すこと
まずは1つ目、きれいな心を取り戻すこと。これは、純粋な心で、偏見なく相手と接する意識を持つことです。
相手の嫌なところが許せない、そればかり気にしてしまう、というのは、その人に対して偏った見方をしていることが多いです。
一面や二面のようなわずかな部分のみで、相手をジャッジして善悪をつけてしまうケースが多くみられます。
何らかの判断基準のみで相手をジャッジするのではなく、多面的に見る意識を持つこと。そして、強みや弱みに善悪をつけるのではなく、その人らしさ、特徴として捉えることです。
人は誰しも、多面性を持っていて、良いと思えるところが、必ずあるものです。それが見えているか見えていないか、という違いだけです。
そして、「この人は、過去の体験や環境などから、こうやって生き抜いてくるしかなかったのだ」、「これから、まだまだ成長する、伸びしろのある人だな」と、大らかに受け止めることです。
例えば、職場で、自分のことは棚にあげて、人の批判ばかりしている上司がいるとします。
「何で人を傷つけるようなことを言うの?」と腹を立て、原因を探そうとしても、その答えは、一言で解答できるような単純なものではありません。そして、相手が変わることを期待しても、相手が簡単にすぐに変わることは難しいでしょう。
なぜなら、人の行動や言動の背景には、これまでの体験や環境、人間関係、感情など、色々な要素が複雑に絡み合って、今に繋がっているものだからです。
習慣化された行動や思考パターンから抜け出すには、かなりエネルギーが必要になります。
今、問題と感じている相手の言動や行動を見て、相手を責め、嫌な人だ、許せない人だ、というレッテルを貼る前に、まずは一旦、感情抜きで、現状をニュートラルに受け止めることです。
そうすることで、イラつき、怒り、悲しみ、というネガティブな感情が湧きにくくなり、相手を侮辱や卑下し、悪く思うことも、自然となくなっていくはずです。
人から学んで、自分を磨いていく
次に2つ目、人から学び、自分を振り返り見つめて、磨いていくことです。
嫌いな人、不快に思う人というのは、2通りの要因が考えられます。一つは、心理的、生理的に嫌だ、許せないという理由です。もう一つは、妬みや嫉妬です。
まず、「人のふり見て我がふり治せ」と言われるように、自分自身を振り返り、自分にも、そういう嫌な部分がないかどうかをチェックし、改善点があれば、正していくことです。
例えば、言い訳ばかりする人が苦手な場合。自分を振り返り、自分自身も、今、言い訳をして、やるべきことをやっていなかったり、チャレンジすることを諦めていたりしていないか、放漫な態度になっていないか、チェックしてみます。
すると、認めたくないけれど、自分にも共通しているものがあったりするものです。
人に対して許せないことは、自分に対しても許せないこととなっている場合が多いです。
本当に許せないことなのか?相手にも自分にも許してみるとどうなのか、考えてみることも大事なことです。
これまで、無意識に自分を縛り付けていた、〜しなくてはいけない、という心の呪縛から解き放たれるきっかけになるかもしれません。
また、恋愛も仕事など、上手くいっている人を見たら、相手と比較して、嫉妬心や反発心を持つよりも、実は自分もそうなりたい、という気持ちを素直に認めることです。
相手を悪く思うことで、自分を持ち上げ、優越感に浸ったり、正当化したりしても、心が満たされるのは一瞬だけ。本当の幸せとは言えません。
理想がわかったのなら、素直に自分も前に進んでいこう、と建設的に考えることです。
強みも弱みも、人のことはよく気付くのに、自分のことになると、なかなか気付かないものです。
自分の魅力を育てる良い機会だと思えば、嫌な相手であっても、ありがたい存在に思えるものです。
相手の幸せを願い、未来を信じる
最後3つ目、相手の幸せを願い、未来を信じること。どんな相手であろうと、不幸を願うのではなく、良くなることを願うこと、信じることです。
苦手な人、嫌いな人に対しては、悪く思い、不幸を願ってしまうこともあるかもしれません。あんなひどいことをするのだから、バチがあたればいい、どうせ失敗するよ、というようなネガティブな思いは自分に返ってきますので、一切やめることです。
相手の幸せ、良くなることを願い、良くなることを信じていきましょう。
アドバイスしたいことがあるのなら、ストレートに言った方が、黙ってウジウジしているよりも断然良いですし、相手のためにもなります。
もしかすると、素直に伝えることで、相手は、一時的には快く思わないかもしれません。しかし、何か気付きがあり、その後、相手の行動や言動などが良い方向へ変わるきっかけになる可能性は十分にあるのです。相手が良くなると、とても嬉しいものです。
相手に何かを伝えるとき、同じことでも、表現を変えることで、印象がガラリと変わります。
例えば、「・・を改善していただくと、私もみんなも嬉しく思います。」というように、事実を伝えるか、「私は・・が・・に変わるとすごく良くなると思う。」と、自分を主語の形で伝えると、相手は抵抗なく聞き入れやすく、言葉が柔らかくなり、上品で丁寧な印象になります。
〜したほうがいいよ、〜してください、というように、「あなた」が主語になると、命令や指示されていると捉えられることがあるため、相手は反発心を感じることが多くなってしまいます。
ただ、相手に良かれと思ってアドバイスしたり、相手のために何かをしたりしても、相手がどう行動するのかは、相手が決めることなので、仮に、結果が思い通りにならなかったとしても、相手や自分を責める必要はありません。誠意を持って精一杯の対応をしたのなら、結果がどうであれ、良しとしましょう。
思い通りにならなくて嫌だったことでも、後になってから振り返ってみると、その方が良かった、ということもあります。
一時的には悪いように思うことも、人生全体で見てみれば、実は悪いことではなく良いことだった、ということは多々あるものです。また、今のタイミングでは、すぐに変わらないことでも、後々に変わる可能性だってあるのです。
世の中、色々な方がいらっしゃるので、嫌に思うことも多々あるかと思います。私も、苦手な人、不快に思う人に出会うことがありますが、それに善悪をつけることはせず、不快を感じた後に、どう捉えて、どう行動していくのか、ということを大事にしています。
嫌な出来事や嫌な人と、逃げずに向き合い、何とかできることをやり、勇気を出して、頑張って歩んでいった経験というのは、自分自身を成長させ、才能やスキル、魅力に結びついていくものです。
そして、その経験の全てが、いつしか、活かされ、同じような悩みで苦しむ人を救うことのできるようにもなるのです。
こんなふうに、問題を乗り越え、優しさや強さを身につけた人が、次は誰かを救っていく・・そんな、人の温もりや慈しみ、強さが、巡って循環していくことが、どんどん増えたらいいな、と私は思っています。
全ては、良い未来へとつながっていて、その未来に行くために必要なプロセスです。未来を信じて進んでいきましょう。(^^)/
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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